2020年09月
ZOOMミーティング用照明の作成
ZOOMでオンラインミーティングの時に、昼間の明るい時は窓からの明かりで充分でしたが、
夕方になると、明かりが足りなくて姿が暗く写るようになりました。
そこで、ミーティング用に照明を作成しました。
まず、ライトを用意しました。
私のiMac27の大きさにちょうど合うLEDライトをホームセンターで見つけました。
長さが63.5cmの蛍光灯型LED照明です。
LED照明をたくさん作っているオーム電機社製で消費電力10Wです。
このライトをiMacに取り付けるための台を厚さ9mm のベニア板をT字形にカットしてペンキを塗りました。
この台をiMacに取り付けるための金具をアルミ棒で作りました。
この金具はデスクトップ用のiMacを手で持ち運べるようにと以前作った取手なのです。
これで部品が揃いました。 これを組み立てていきます。
まず、照明の取り付け具をねじ止めします。
取り付け具に照明をはめ込んで取り付けます。
一方、iMacのスタンド部に取り付けのためのネジ穴を4箇所開けます。
そこに取手の金具をねじ止めします。
その金具に先ほどの照明台をねじ止めします。
照明の電源コードをiMacの背面中央から下に出すため、モールを両面テープで取り付けます。
モールに電源コードを通して完成です。
裏側の全体はこんな感じです。
横から見たところです。
これで夕方でも夜でも明るい照明で人物をはっきりと写すことができるようになりました。
プレスリーはハワイにいた!・ハワイ2007-22
プレスリーはハワイにいた!・ハワイ2007-22
よくある「そっくりさん」のエルビス・プレスリーです。
でも、それで商売をしているだけあって、本格的。
歌はうまいし、背も高くて、私が見てもかっこいい!
かみさんはすっかり一目ぼれ。「心から楽しんだ」と言っています。
彼のショーを見に行こうとまで言ってます。
今回は、たまたまワイキキ・ショッピング・プラザに用があって来たときに、
ホノルルフェスティバルの一環として、無料のショーをやることが分かって
最前席で見ることができました。
こういったイベントがあちこちでやっているようですが、把握しきれていません。
無料ですから、20分程度のショーでしたが、なかなか迫力がありました。
パンフレットを見ると、食事無しの最低ティケットで42ドル(5,100円)もします。
国立太平洋記念墓地の礼拝堂・ハワイ2007-21
国立太平洋記念墓地の礼拝堂・ハワイ2007-21
墓地の中心に礼拝堂がある建物があります。
建物の前に広い階段があり・・・
階段を登ると、高さ30フィートの女神の石像があります。
その背後に両翼が広がった建物があって、太平洋戦争を始め、各戦争ごとに立派な絵図と説明が展示されています。
その中のほとんどが日本との戦争のことでした。
建物の内部には色々な戦争資料が展示してあります。
中央に見えているのは硫黄島の図です。
英語の説明なので、よく分かりませんでしたが、何人かのアメリカ人が
だまって、熱心に読んでいるのが印象的でした。
こちらはミッドウエイ海戦の図です。
さらに沖縄戦の図などなどです。
内部にある礼拝堂です。
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09.01 防犯のすすめの目次
08.21 ラオス2012の目次
08.08 チェンマイ2012の目次
写真8
国立太平洋記念墓地のつづき・ハワイ2007-20
国立太平洋記念墓地のつづき・ハワイ2007-20
3月8日に訪れた国立太平洋記念墓地(パンチボウル)のつづきです。
国立太平洋記念墓地(National Memorial Cemetery of the Pacific)の入り口です。
入口と言っても、墓地までは右へ周りながら長いアプローチが続き、20分ほど歩きます。
たまにバスが追い越していきますが、歩いているのは我々だけです。
アプローチは上り坂で、だんだんと高くなります。
パンチボウルはダイヤモンドヘッドと同じく火山噴火活動によってできた高台(クレーター)だそうです。
ここの展望台からは、ダイヤモンドヘッドとホノルル市内の素晴らしい景色を一望することが出来ます。
墓地まで広大な芝生が広がります。
墓地の入口です。
ここには第一次・第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で戦死した3万人以上の軍人が埋葬されているそうです。
墓地の中もこれまた広大です。
アメリカ人がパンチボウルで必ず訪れるという、従軍記者アーネスト・テイラー・バイル氏の墓石です。
彼は戦う戦士をリポートし、その記事は広く読まれ人気があったそうですが、
1945年沖縄の西のイエ島で命を落としたそうです。
こちらは1986年にスペースシャトル「チャレンジャー号」の事故で亡くなったハワイ出身の宇宙飛行士
エリソン・S・オニズカ氏の墓だそうです。いつも献花がが絶えないのだそうです。
パンチボウルには時折、ツアーバスが来ますが、ツアーバスで来た人は、いずれもバスを降りることなく、
バスで敷地内をゆっくりと周って帰ってしまうのです。
墓石を真近で見ることも無く、メモリアルの中も見ないのです。
これでは肝心のところは見ないことになります。
ここへ来る方法はワイキキよりバスBに乗り、30分ほど先のホノルル警察でバス15番に乗り換えます。
このバスが1時間に1本しかなく、時刻表を忘れてきたので、40分ほど待たされて、やっと乗りました。
25分ほど乗って、パンチボウルへの登り口の停留所で降ります。
部屋からの素晴らしい夜景・ハワイ2007-19
部屋からの素晴らしい夜景・ハワイ2007-19
コンドミニアム・フェアウェイ・ビラの我々の部屋(27階)からの夜景が
あまりに素晴らしいのでご報告します。
山側の遠景です。
山側と正面の間の遠景です。
右側にダイヤモンドヘッドの立ち上がりが見えています。
正面です。後ろにダイヤモンドヘッドがうっすらと写っています。
左の黒い部分は運河です。
海側です。 高いビルのすぐ向こうがワイキキビーチです。
順番が逆になりましたが、こちらは屋上からの夕日です。
すでに、いくつかの外国人家族が夕日を楽しんでいました。
その中の2家族は屋上にある椅子とテーブルを使って、そこで夕食を取っていました。
夕方の運河沿いの景色です。
同じく夕方のゴルフ場の景色です。
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09.01 防犯のすすめの目次
08.21 ラオス2012の目次
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ホノルルフェスティバル・ビーチウォーク・ハワイ2007-18
ホノルルフェスティバル・ビーチウォーク・ハワイ2007-18
3月10日のお話です。
13回目のホノルルフェスティバルが3月9日から11日まで3日間開かれています。
ディセンダンス(オーストラリアより)です。
表向きは「米国とアジア太平洋地域の交流のため・・・」となっていますが、
これはほとんどハワイと日本のお祭りだと、感じました。
日本各地から沢山の団体がこれに参加するために来ています。
主なものは:兵庫の南京玉すだれ、高知からよさこいの須賀連、青森から弘前ねぶた、
阿波踊りの殿様連、などなど、各会場で30分刻みのスケジュールです。
写真はフラサークル・レアレア(静岡より)です。
8年前に来た時は9月のアロハ・フェスティバルを見ました。
この2つが大きなフェスティバルのようですが、毎月何かのイベントがあるとのこと。
と、言うより、個々には毎日あちこちで無料のイベントがあります。とても見切れませんが・・・
フェスティバルは3つのメイン会場と、パレードよりなります。
1.ビーチ・ウォーク会場:現在再開発中の地域(DFSギャラリアの海側)
2.コンベンション・センター:広大なスペースのある展示場
3.アラモアナ・ショッピング・センターのセンターステージ
4.その他ワイキキ・ショッピング・プラザなど
5.パレード:11日4時半よりカラカウア通りにて
全て無料です。
観衆はこんな感んじで見ています。
今年2020年は3月6,7,8日で開かれたようです。
詳細はこちら https://www.honolulufestival.com/en/event/
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防犯のすすめのまとめ
= 防犯のすすめのまとめ =
防犯に完全はない、しかし、やれば、やっただけの効果あり。
泥棒は:
・日中、一般人を装って入りやすい家を探している。
・人目を極端に恐れる。→あいさつをしない。人目を逃れる。
・5分以内の仕事。侵入に5分以上かかると思われるところは諦める。
・明かりと音を恐れる。
・防犯意識を恐れる。
防犯の基礎
・常に防犯意識を持つ。油断しない。
・外(通り)から家を見て、見えない所(死角)を作らない。
特に家の裏側に注意
・家の周りの生垣は低くして、隙間を開ける。
・窓にアクセス出来るような足場やポール類を造らない。
・家の周りには防犯砂利を敷く。
・家の周りにはフェンスや生垣などの囲いを。
・危ないポイント(死角になる場所など)にはセンサーライトを取り付ける。
・ガラス窓には振動センサーを取り付ける。
・夜は庭園灯も効果的。
・ワンドア・ツーロック
・監視用テレビカメラを付ける。偽物でも効果あり。
・ドアとドア枠の隙間にガードプレートを取り付ける。(バールによる破壊対策)
・簡単に外れる格子や窓は補強する。
・合鍵を郵便ポストや植木鉢の下に置かない。
・ポストに新聞を溜めない。長期留守時は配達停止を。
・普段見かけない人には相手の目をしっかりみて一声かける。
泥棒が嫌うのは「地域の目」。
・隣近所と仲良く。
どんな家が狙われるか:
・外からの見通しが悪い家 。死角がある家。
・油断している家(防犯意識が感じられない家)
・見るからにだらしない家、雑然としている家。
・2階に登れる足場のある家 。
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今日はモーちゃんの誕生日・ハワイ2007-17
今日はモーちゃんの誕生日・ハワイ2007-17
ハワイで私の誕生日(3月10日)を迎えました。
3月10日は昔の「陸軍記念日」だそうです。
父親がつけてくれた私の名前の由来はここから来ているのです。
この日で私は62歳になりました。
まだまだはなたれ小僧かも知れませんが、人生を楽しまなくっちゃ! と思っています。
と、いうのも、過酷なサラリーマン時代を過ごしてきたからです。
私だけではないでしょうが、私が6年前に早期退職した前後は、サラリーマンにとって
とてもきつい時代でした。 エッ! 今でもそうだって?
あのころは会社も左前になり、必死になって早期退職者を募っていました。
長い間お世話になった会社にいつまでもおんぶしてもらっているのは良くない。
「会社のためにも」とも思い、決断したのでした。
実は、昨日プランテーションビレッジを訪れた時、入場料が62歳以上だと、
13ドルが10ドルに割引になると言うので、「俺は明日で62歳だ!」と言いました。
そしたら「OK OK Conguratulations!」といって割り引いてくれました。
ビレッジの見学を終え、ワイケレ・アウトレットへのバスでの行き方を聞いたところ、
「バスの本数が少ないので、私が帰るから一緒に乗っていったら」と、
ボランティアで働いているここの女性が自分の車で連れて行ってくれました。
こちらの人は旅行者(に限らない?)にとても親切です。
スーパーのレジでは必ず「Hi!」とか「Hello!」とか言ってくれますし、分かれるときも
必ず「Have a nice day」とか「Enjoy!」言ってくれます。
それも日本のように事務的でなく温かさが伝わってくるのです。
こういった面で、とても心地よく観光できるのが、本当にありがたいです。
先日、コンテンポラリー・ミュージアムで昼食の支払の際に、チップの計算を
間違えて少し多く渡してしまいました。
そしたら、ウエイトレスが戻ってきて「チップは15%で充分ですから」と
2ドルを持ってきて返金してくれました。
一方、「袖の下とか、ずるいやり方はこちらでは絶対に通らない」と、アメリカで長くビジネスを
していた日本人が言っていました。
前から思っていたことですが、アメリカ人って正義感が強い一方で、寛容さも感じます。
話がそれてしまいました。
60歳以上のみなさん!60過ぎたら人生をおおいに楽しもうではありませんか。
「明日はどうなるかわからない」我々なのですから。
髪の毛が多少(でもないか)薄くなっても、そんなの気にしている暇はりません。
私は昨年、大病をし、命拾いしましたが、その前から「人間、60過ぎたら
いつどうなるか分からない」と本気で考えていました。
早期退職した理由の一端もそこにあります。
夫婦喧嘩している暇はありません!
1日たりとも無駄な日を送るのはもったいないのです。
エッ? 俺達はもう、とっくに楽しんでいるって?
失礼しました。m(__)m
下の写真はアロハタワーの下にあるレストラン「タワーグリル」でのコーヒーブレイクです。
奥に見えるのはホノルル港に停泊中の「ISLAND PRINCESS」号でした。
ハワイのプランテーション・ビレッジ・ハワイ2007-16
ハワイのプランテーション・ビレッジ・ハワイ2007-16
3月9日はプランテーション・ビレッジに行きました。
プランテーション・ビレッジはワイキキよりアラモアナSCで43番のバスに乗り換えて1時間。
途中H1ハイウェイを飛ばして行きます。
場所的にはパールハーバーに近いワイパフという町にあります。
ビレッジの展示館です。
その昔ハワイへ渡ってきた移民たちの家々を、当時そのままに再現し、さとうきび畑での
当時の労働と生活を歴史的に知ることができます。
日本からだけではなく、中国、韓国、フィリピン、ポルトガルまでもから多くの移民が働きに
やってきてたのでした。
私なぞほとんど知らなかった世界でした。
昔の日本人が苦労した様子がよく分かります。
入場料1人10ドルでしたが、私達二人だけのためにボランティアの日本人が丁寧に説明して
回ってくれました。心に残る見学施設でした。
ボランティアの日本人男性二人は私と同年代で、リタイアしてこちらに来て1年(もう1人は2年)たつと。
リタイア前にこのビレッジを訪れ、その人もここで、このようなボランティアをすることが夢だったそうです。
そして、その夢を実現させ、こうして毎日説明しているのだそうです。
しかしながら、ほとんどが団体で、私達のように個人でここを訪れるのはまれとのことです。
そうでしょう。30分に1本しかないバスをアラモアナSCで待って、1時間もバスに乗るのですから。
下の写真は当時の日本人家庭の内部を再現したもの。
各国についてもこのような部屋がいくつもあ理ました。
こちらは中国人たちの集会場を再現したものです。
そしてこちらはハワイのさとうきびです。
太くて大きくて日本のさとうきびと比べて節間が短いです。
この節間が短いほど甘く、このように改良されてきたのだそうです。
次の写真はスイカがなっているのではありません。
大きな丸い硬い実です。これで楽器のマラカスを作るのだそうです。
これまた大きな丸い実が沢山成っていますが、砲弾の木(Cannonball Tree)というのだそうです。
国立太平洋記念墓地(パンチボウル)の半旗・ハワイ2007-15
国立太平洋記念墓地(パンチボウル)の半旗・ハワイ2007-15
ここはワイキキから山側へ登った高台にある、国立太平洋記念墓地であり、第1次、
第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で戦死した3万人以上の軍人が埋葬されているという、
広大な墓地で、その広さ約47万平方メートルもあるそうです。
その形がフルーツパンチなどを入れるボールの形に似ていることから「パンチボール」とも呼ばれるそうです。
立派な半旗が掲げられています。
毎日3万以上の戦死者の墓石を見守り、冥福を祈っているのでしょう。
ミュージアムでの昔のフラダンスショー・ハワイ2007-14
ミュージアムでの昔のフラダンスショー・ハワイ2007-14
ビシッョプ・ミュージアムで古典的なフラダンスショーを見せてくれました。
最後に踊り方を教わり、皆でフラを踊ることになりました。
フラの動きに1つ1つ意味があることを教わりました。
ショーが終わると、わざわざ近づいてきて写真をとらせてくれました。
思わずニッコリ!
下の写真はミュージアムの庭に成っていたカカオの実です。
チョコレートの原料です。大きな実でした。
ビシッョプ・ムージアム1・ハワイ2007-13
ビシッョプ・ムージアム1・ハワイ2007-13
3月6日はビシッョプ・ムージアムに行きました。
太平地域洋最大の自然科学歴史ミュージアムで、C.R.ビショップ氏によって妻のパウアヒ王女
(カメハメハ王家最後の直系子孫)への追悼記念として1889年に設立されたとのこと。
ビショップ・ミュージアムの中庭です。
写真中はビショップ・ミュージアムの展示館の1つ
写真下はビショップ・ミュージアムでの溶けた溶岩を固まらせつ実演
ビショップ・ミュージアムはワイキキから2番バスに40分ほど乗ってに行きます。
バスの中で地図を広げてバスのルートを確かめていると、いろいろな人が声をかけて
助けようとしてくれます。
後15分だとか、ここを曲がったら次の停留所でおりろとか、ある人は自分が降りるときに
バスの運転手に「彼らをビショップ・ミュージアムでおろしてやって」と言ってくれたりします。
我々も運転手に「ビショップ・ミュージアムで知らせてね」と言ってあるのですが。
こちらの人はとても親切です。
お年よりや、車椅子の人、困っている人にとてもやさしく接するのを良くみかけます。
こちらから聞いても勿論丁寧に教えてくれますが、だまっていてもあちらから声をかけてくれます。
困っている人を見るとほっておけないと言う感じがします。
そういう点ではとても気持ちよく思えます。
ビショップ・ミュージアムは次の構成になっています。
1 サイエンスセンター:ハワイの自然をテーマに昨年オープンした科学館。
ハワイの火山などについて学べます。
溶岩を溶かし、それを流して冷える途中で「バリン! バリン!」と音をたてて割れる様子を
再現して溶岩がこうやって割れるのだというのを見せてくれました。(日本語の説明)
2 ハワイアン・ホール:ハワイの歴史、文化、日本とハワイの関係などを勉強できます。
ボランティアが日本語で説明してくれました。
妻は今回の旅でハワイの歴史を知るのが1つのテーマだったので、熱心に聞き入ってました。
3 プラネタリウム館
4 キャッスル館:王族の残した文化遺産を展示
木にはならないハワイのパイナップル・ハワイ2007-12
木にはならないハワイのパイナップル・ハワイ2007-12
3月5日のおなしです。
実は「ハワイのパイナップルは木に成る」というのは冗談です。
まさか本気にしていませんよね。失礼しました。
前ページの木は「HALA」という木で、パイナップルに良く似た実をつけるのだそうです。
食べても美味しくないそうです。これは本当です。
上の写真は「ジャックフルーツ」の木と実です。
試食しましたが、バナナのような味でヌルヌルして噛み切れない癖のある味でした。
下側の写真は例のリムジンです。いくつもの種類を見ました。
これは写真を引き伸ばした訳ではありません。これは冗談でもありません。
今日はバスに乗っている時間が長かったので、いつものような疲れは残りませんでした。
今日乗った距離はわかりませんが、時間にして、乗っているだけで4時間強でした。
途中、ハイウェイ1号と2号を通りますが、6車線もある中を一般車と同じように飛ばします。
こんなに長く乗っても1回2ドルですから、安いですよね。
もっとも、途中下車したので、2回乗ったことになりますが・・・
なお、ハイウェイは東名などをしのぐ大きさですが、無料とのことです。
イギリスもそうでした。さすが、車社会ですね。
パイナップル(普通の大きさ)は1つ5.76ドルでした。これも高〜い!
勿論、買いませんでしたけど・・・
ハワイのパイナップルは木になる・ハワイ2007-11
ハワイのパイナップルは木になる・ハワイ2007-11
3月5日のお話しです。
いやはや驚きました。
ハワイのパイナップルは木になるって知ってましたか?
私は知りませんでした。
写真でご覧のとおり、ハワイで栽培しているパイナップルはパイナップル・トリーという
木になるので、他のパイナップルより大きくて美味しいのださそうです。
確かに試食したパイナップルは日本で食べるパイナップルより美味しく感じました。
それに、木になっているパイナップルも大きいですよね。
このようなパイナップル畑のごく一部を20分かけてトレインで見学しました。
「地球の歩き方」によれば、「・・・一面にパイナップル畑が広がる。その広さはまさにパイナップルの海。
まるでグレイハウンドに乗り、アメリカを旅しているかのような・・・」とあるほど広いようです。
車内ではしきりに説明のアナウンスが流れるのですが、早くてさっぱりわかりませんでした。
園内の説明ツアーとトレインで1人10ドルでした。
つづく・・・
ドール・プランテーション・ハワイ2007-10
ドール・プランテーション・ハワイ2007-10
3月5日のお話です。
オアフ島を1周してドール・プランテーションに行きました。
この日はアラモアナSCで52番のバスに乗り換え、オアフ島を1周してきました。
途中、ドール・プランテーションで下車し、見学してきました。
ドール・プランテーションの正面です。
ドール・プランテーション(DOLE PLANTATION)とは、パイナップルのラベルに良くある「Dole」
のことで、ハワイでパイナップル事業を進めた人の名前です。
パイナップル畑の一部をトレイン(実はガソリン自動車)で見学することができ、
遊園地気分になりました。
また、きれいに手入れされた園内を案内してくれるツアーに参加しました。
可愛い女性が案内してくれるのですが、話が早くてほとんど分かりませんでした。
その代わり、質問することが出来、彼女と話すきっかけとなりました。
園内ではパイナップルジュース、スコーン、ケーキなどを食べましたが、これがものすごく
美味しくて満足しました。
そのうえ、お手ごろな値段で、コーヒー大(3人分ある)が1.9ドルでした。
2人で飲んで余るほどで、ハワイに来て初めて「安さ」を感じました。
詳細な報告は後ほど