モーちゃんの人生を楽しむブログ

人生を楽しもう!をモットーに、モーちゃんの趣味 (海外旅行、国内車泊旅行、ガーデニング、パソコン、テニス、DIYなど) を中心にモーちゃんの毎日の話題を投稿しています。

北イタリアのヴェネチア・ゴンドラに乗って

ヴェネチアに来たらやはりゴンドラに乗って、運河めぐりをしないと「何してきたの?」って言われちゃいますよね。
それほどゴンドラの人気が高く、沢山のゴンドラがあります。
スキアヴォーニ河岸に係留されたゴンドラです。 カバーがかけられています。
1P9300426ゴンドラ

人の乗っていないゴンドラはこのようです。
長さ約11.5m、幅約1.4mで、色は「黒」と法令できめられているのだそうです。
その理由は次の通りだそうです。
1 ゴンドラに装飾を施すことを競い合うのを防ぐ
2 狭い運河での運行、船着き場の不足などの問題のたため、大きさを統一
3 船首と船尾が細く跳ね上がっている古来の形に統一
  これらの船首と船尾曲は見通しが利かない所では先触れの役目をするのだそうです。
2P9300463ゴンドラ
太鼓橋を通るゴンドラです。
3DSC08963
こちらはため息橋のある水路です。前方にため息橋が見えています。
ため息橋は宮殿内部の尋問室と監獄をつなぐ橋で、牢獄に入る囚人がこの橋の窓から
目にする美しい運河の風景を見て、ため息をついた事からこの名前が付けられたのだそうです。
当時の監獄はそのままのこされて博物館となっています。
4P9300455溜息橋
水路にはこのような太鼓橋が次々と現れます。
5P9300498太鼓橋
水路の途中にある傾いた教会です。
地盤沈下の影響です。 地盤沈下はヴェネチアの深刻な問題になっています。
6P9300495傾いた教会
運河から見えるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会です。
8DSC08966サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会です。
運河や水路からはこのような光景が次々と現れます。
7マッジョーレ教会
ご存知のようにヴェネチアでは島内へ車の乗り入れが禁止されています。
したがって、車もなければ信号もありません。 当然ですが・・・

自転車は? と言うと・・・ 見かけませんでした。
たぶん、ないのだと思います。
太鼓橋が多いので、自転車も不便なのではないでしょうか。
島内の移動は運河や水路を使い、水上バスや水上タクシーなどに乗るか徒歩しかないのです。
車のない町、静かでいいでしょうね。


北イタリア・ヴェネチアのスキアヴォーニ河岸

サン・マルコ運河沿いにスキアヴォーニ河岸があり、出店が沢山あって賑わっています。
この河岸のすぐ右側が運河です。
スキアヴォーニ河岸は水上バス・タクシーの船着場やゴンドラの係留場があり、
サンマルコ広場のすぐ近くなので、ベネチアの海の玄関口になっている所です。
これ、ぜ〜んぶ観光客です。
1DSC08950スキアヴォーニ河岸
ジャルディーニ(GIARDINI)水上バス停近くの太鼓橋。
河岸を運河が横切りますが、人は太鼓橋で渡ります。
2P9300477
河岸の陸側はオープンカフェのパラソルとテーブル。
右側は沢山の土産やさんでいっぱい!
観光地らしいですね。
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3P9300509
絵を描いて売る人です。良く見かけます。
4DSC08942スキアヴォーニ河岸
水上バス・タクシーの船着場やゴンドラの係留場です。
5P9300481
ホテルダニエリの前です
6P9300510
どこも観光客でいっぱいのベネチアです


北イタリア・ヴェネチアのドゥカーレ宮殿

サン・マルコ広場にあるドゥカーレ宮殿です。(Webより)
ドゥカーレ宮殿は、ベネチア共和国の総督が住み、立法、行政、司法の中枢だった建物だそうです。
8世紀に創建され、何度か火災に遭ってその度に改築され、15世紀に現在のものとなったそうです。
1ドゥカーレ宮殿

ヴェネツィア共和国の守護聖人である聖マルコのシンボルである「翼あるライオン」が
ヴェネツィア共和国の国章になっていて、その「翼あるライオン」が ドゥカーレ宮殿の
前(写真の右)の円柱に飾られています。
外観はゴシック様式で、白とピンクの大理石で造られているのだそうです。
まさに宮殿といった感じですね。
2P9300449ドゥカーレ宮殿

このような彫刻の装飾がいたるところに見られます。
3P9300445ドゥカーレ宮殿

ドゥカーレ宮殿の中庭です。
4P9300436ドゥカーレ宮殿?

中庭はかなり広いのですが、周りの建物以外には何もなく、がらんとしています。
建物内部の部屋は芸術の粋を極めた建造物・彫刻・ベネチア派画家の絵画などで一杯。
残念ながら、撮影禁止でした。

5P9300439ドゥカーレ宮殿中庭

6P9300438ドゥカーレ宮

北イタリア・ヴェネチアのサン・マルコ広場

今回はイタリアの水上都市・ヴェネチア(ヴェニス)です。
ヴェネチアは潟湖(ラグーン)の中のリアルト島に造られた都市で、
100を超える運河が町全体に網の目のようにはりめぐらされています。
いつもの通り、下の地図でその位置④を確認してください。
地図をクリックすると拡大されます。
1北イタリア地図

ヴェネチアの観光の出発点がサン・マルコ広場です。
ナポレオンはこの広場を「世界でもっとも美しい客間」と称賛したそうです。
サン・マルコ広場の空撮です。
中央がサン・マルコ寺院、寺院の正面の左の白い建物が時計塔、高くそびえているのが鐘楼、
鐘楼の後ろの白い建物がドゥカーレ宮殿、鐘楼の右にあるのが国立マルチャーナ図書館、
宮殿の右が運河通りのスキアヴォーニ河岸、その右がサン・マルコ運河です。
(Webより借用)
2サンマルコ広場

いつも鳩と観光客でいっぱいのサン・マルコ広場です。
サン・マルコ寺院とは反対側で、コッレール博物館が見えています。
ヴェネチアは潟湖の上に造られているため、徐々に建物全体が沈んできているのだそうです。
そして大潮の時はこの広場一面がプールのようになることをテレビでたまに放映してます。
3P9300468サン・マルコ広場

サン・マルコ寺院の正面です。
サン・マルコ広場の顔となっているこの寺院は、街の守護聖人である
サンマルコを祭るため9世紀につくられたビザンチン様式の建物だそうです。
(Webから借用)
4サンマルコ寺院2

11〜15世紀の改修でルネッサンス、ゴシックなど様々な様式の装飾で飾られています。
5P9300472サン・マルコ広場

こちらはドゥカーレ宮殿です。
ドゥカーレ宮殿については別にご紹介します。
6P9300447ドゥカーレ宮殿

鐘楼とヴェニスの守り神である、翼の生えたライオンです。
鐘楼は高さが99メートル。上からは町全体を眺望することができます。
7P9300427鐘楼

その鐘楼からの眺望です。
8サンマルコ広場鐘楼からの眺望

運河のボートから見た鐘楼とドゥカーレ宮殿です。
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9P9300513鐘楼・国立マルチャーナ図書館・宮殿

いや〜素晴らしいですね。


北イタリア・古都ヴェローナのランベルティの塔

シニョーリ広場にあるランベルティの塔は高さは83m。
煉瓦と石でできていて、階段、あるいはエレベーターで登ることが出来ます(有料)。
塔の上からはヴェローナの街を一望する事ができます。
1P9280174ランベルティの塔
ランベルティの塔から見えるエルベ広場です。
笠を拡げたように見えるのは、出店のテントです。
2P9280212エルベ広場
建物を説明できないのが残念ですが、ランベルティの塔から見える古都ヴェローナの
眺望をご覧いただきます。
さすがに世界遺産だけあって、どちらを見ても美しい街です。
3P9280221

4P9280217

5P9280224

6P9280225

いや〜ヴェローナって本当に美しい町ですよね。
これでヴェローナのシリーズを終ります。

********参考:資料より********
古都ヴェローナ:
  アルプスから流れるアーディジェ川のS字形の川岸に発達する、人口約26万人の芸術都市。ワイン、果樹栽培、畜産技術等の中心地の1つで、製紙、印刷、機械工業、鉄道車両等の工業も発達。ヴェローナから北上してブレンナー峠を越え、インスブルックを通ってアウグスブルクに至る街道は、ローマ帝国の重要な幹線道路の1つだった。中世に入ってからもこの街道はイタリアとドイツを結ぶ通商・巡礼・軍隊の移動などに最高度に利用された。その状況は今も同じで、ヴェローナ、インスブルック間の高速道路はアルプス越えの道路の内で最も交通量が多い。
  ヴェローナはこのような交通路を背景に、ローマ時代以前に生まれた町。その後の歴史は後の北イタリアの諸都市と同じような経緯を辿り、1107にコムーネ(都市国家)を形成。そしてパドヴァ、ヴィツェンツァ、トレヴィーゾ等に呼びかけてヴェローナ都市同盟を結んだ。後に多くの都市をメンバーとするロンバルディア都市同盟が成立したとき、このヴェローナ都市同盟が手本となった。
  神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世、通称バルバロッサが強引に北イタリアの諸都市を服属させようとした時、都市同盟は断固として抗議した。ヴェローナは1164と1176の2回に渡ってバルバロッサに勝利を収め、意気大いに揚がった。この頃から商業と手工業の発展が目覚ましく、ヴェローナは全盛時代に入る。問題は都市貴族の内部抗争だった。外敵の脅威がなくなると共に有力貴族の間での勢力争いが激しくなり、ついには手がつけられない状況になってしまう。
  内部抗争で収拾がつかなくなった結果、1231にエッツェリーノ・ダ・ロマーノが独裁者として権力を握り、その暴力的な支配は彼が亡くなるまで続いた。これに懲りた市民はコムーネのポデスタの地位にあり信望の厚かったマスティーノ・デッラ・スカラに市政を委ねた。この時代に他の多くのコムーネでも見られたように、君主制への移行である。一般市民は安心して生活し商売を続けていけるように、何よりも秩序の確立を望んだ。スカラ家はスカリジェロ家とも呼ばれその支配は1260〜1387まで続き、ヴェローナの黄金時代をもたらした。そして1405にヴェネツィア共和国の支配下に入り、ナポレオンによるイタリア再編成の嵐が来るまで続いた。
  ヴェローナの中心市街地は碁盤の目のようになっている。ここがローマ時代以来の旧市街。

北イタリア・古都ヴェローナのシニョーリ広場他

今度はシニョーリ広場(Piazza dei Signori)です。Signoriとは「紳士達」の意味だそうです。
エルベ広場から大時計のある塔(ランベルティの塔)の左脇のアーチをくぐったところにあります。
1シニョーリ広場
広場の中央に立っている像はダンテ・アリギエーリ(イタリア文学最大の詩人)の像です。
ダンテはヴェローナに暫く滞在した事があったそうです。
四方は宮殿や裁判所といった建物が建ち、かつてはヴェローナの行政の中心だったそうです。
2シニョーリ広場
シニョーリ広場のそばに建つ高さ84mのランベルティの塔です。
エルベ広場でひときわ目立っています。
ここは登ることが出来、次回はここからの眺望をご紹介します。
3ランベルティの塔
こちらはスカラ家の廊(Arche Scaligere)です。
14世紀ヴェローナの領主であったスカラ家代々の、ゴシック様式の美しい墓です。
4スカラ家の廊
墓はゴシック様式の彫刻や装飾された柱で飾られています。 
4角錐の屋根の上に飾ってあるのはは騎士像です。
ヴェローナを流れているアディシェ川です。
5アディシェ川
その対岸の高台にはサン・ジローラモ修道院(現在:考古学博物館)がそびえています。
その斜面には1世紀に造られた古代ローマの劇場跡がありますが、ここは行きませんでした。
6サン・ジローラモ修道院

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